2012年12月10日月曜日

スティーブジョブスの伝説のスピーチ【Steve Jobs Speech at Stanford:点と点をつなぐもの】

「運命」、自分の進む道の「選択」、いろいろな偶然が重なり、とてつもない天才が世に出るということをジョブスのスピーチを聞いていると思います。場合によっては、堕胎によってこの世に存在しなかったかもしれないジョブス。

大学を中退して、もぐりの聴講生として出会ったすばらしいフォント、また、自分が作った会社を追い出されてしまう辛酸も舐めました。

私は、愚直という言葉が大好きなんですが、「stay hungry stay foolish」という言葉の繰り返しは、しっかりと脳裏に残っています。ホント、自分の人生を振り返っても、点と点がつながり、それが線になり、面になるというのを実感しただけに、納得できますわ。

人の人生は、振り返ってみると、ストーリーが繋がることが結構多いものです。取り組んでいる当時は、役に立つとは思わなかったもの、当時は脚光を浴びることがなかったものが、時間を置いた後、評価されることは良くあることです。芸術の世界などは、音楽や絵画などが良い例ですが、ビジネスの世界でも、過去の功績がある日突然、日の目を見ることがあります。

人は明確な目標を持っていれば、後から振り返れば、点と点が繋がると私は考えています。その時間軸が人によっては、数日、一週間だったり、数年、数十年と開きがあるかもしれません。稀代の天才として名を残したスティーブジョブス、その波乱万丈の人生、多くの皮肉もあります。

私の好きな言葉で「怪我の功名」と「ひょうたんから駒」と言う言葉があるんですが、人生、何が起こるかわかりません。当初は過失や災難と思われたことが、思い掛けなく好結果をもたらすこともあります。山本五十六ではありませんが、「苦しいこともあるだろう、言いたいこともあるだろう、不満なこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、泣きたいこともあるだろう」し、逃げだしたいこともあると思います。しかし、目の前にある事実は、時計の針を巻き戻すことができない以上、どうすることもできない現実です。

あと、失敗学、失敗データベースと言うのが私は好きなんですが、学ぶことのできない失敗とはないんですよね。頭に来て仕方ない、腹が立ってどうしようもないと思っても、「これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。」 って思うことがあります。私も気持ちがネガティブな時、嫌なことが連続する時は、「何てついていないんだ」と思いますが、概ね、失敗とは、準備不足、注意不足に起因するヒューマンエラーが殆どであり、それをPDCAのサイクルに乗せて、フィードバックすれば、最終的には消しこみができると思っています。攻撃を常にしてくる人、嫌がらせをしてくる人、頭を抱えたくなることはたくさんありますが、実はそこにチャンスが転がっていたりすることも多いのです。

不屈の精神を持って愚直に自分の信念を貫き通すジョブス、神格化される理由がわかります。foolishを「愚か」と訳すのではなく「愚直」と訳すとわかりますが、ジョブスのエッセンスはこの一言に集約されると思います。

きっとあなたも、自分のタイムラインが繋がりますよ、フェイスブックでタイムラインの機能がありますが、自分の人生を時系列にし、起こったイベントを見てみると点が繋がることがあるかなと思います。過去の延長線上に今があり、未来を切り拓いていく訳です

私たちの生活を大きく変えたIT、その立役者として、スティーブジョブスが果たした役割は極めて大きいでしょう。それと忘れてはならないのがビルゲイツですね。今後は、インターネットが世の中を変えた事例としては、グーグルの共同創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが大きく取り上げられることになると思います。何といっても、Gmailのメールデータやスケジュール、検索データやネットの解析データ、それからグーグルアース、ストリートビューなどで様々な属性を把握し、それらの紐付け作業を行っているからです。このグーグルが今やっている点と点を結びつける作業が終わったら、国家さえもが勝てないようなデータベースになると思いますよ。

世界中の情報が瞬時に収集でき、逆に世界中に瞬時に情報を発信できるインターネット、このツールが私たちにもたらした恩恵はとてつもなく大きく、今までは考えられなかったスピードでアクションを起こすことができるようになりました。「思考は現実化する」と私は思っており、アイディアを実現する方法はインターネットの文殊の知恵で昔に比べると垣根は限りなく低くなりました。「夢は見るものではなく、現実化するもの」と言う言葉も昔だったら鼻で笑われていたかもしれませんが、人類は多くの夢を実現してきました。「Dreams come true」と言う言葉を念頭に私も将来に繋がる面白いアイディアを出したいな。

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 Steve Jobs Speech at Stanford with english subtitles

http://www.youtube.com/watch?v=RJ5o_Y0dh2w&list=FLlaq59lZQ7g7dWHZwbPlNjg&feature=mh_lolz



I’m honored to be with you today for your commencement from one of the finest universities in the world. Truth be told, I never graduated from college, and this is the closest I've ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That's it. No big deal. Just three stories.

世界最高峰の大学の一つを卒業される皆さんと今日同席することができて光栄です。実を言うと私は大学を卒業しませんでした。ですので、これが大学卒業にいちばん近い経験となります。今日は皆さんに、私の人生にまつわる3つの話をしたいと思います。それだけのことです。大したことはありません。たった3つの話です。

The first story is about connecting the dots. I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?

最初の話は点と点を繋ぐということについてです。私はリード大学を最初の半年で中退しました。でも、本当に辞めてしまうまで18ヶ月くらいは聴講生として居座っていました。では、私はなぜ中退したのでしょうか?

It started before I was born. My biological mother was a young, unwed graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: "We’ve got an unexpected baby boy; do you want him?" They said: "Of course." My biological mother found out later that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would go to college. This was the start in my life.

それは私が生まれる前にさかのぼります。私の生みの母は若い未婚の大学院生でした。そして、彼女は私を養子に出すことに決めました。彼女は、私が大卒の親の養子になるべきだと強く思っていました。そのため、出生と同時にある弁護士とその妻の養子になるよう手筈は全て整っていました。私がポンと生まれ出ると、土壇場になってやっぱり女の子が欲しいと言い出したこと以外は。こうして順番待ちリストに載っていた私の両親のところに真夜中に電話がかかってきたのです。「予想外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですが、養子にされますか?」と聞くための。

「もちろんです」と彼らは言いました。私の生みの母は後になって、私の母が大学を出ていないこと、父は高校も出ていないことを知りました。彼女は養子縁組の最終書類にサインするのを拒みました。数ヶ月後、私の両親が私を大学へ行かせると約束して初めて彼女は態度を軟化させました。これが私の人生の始まりでした。

And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents' savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn't see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I’ve ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn't interest me, and begin dropping in on the ones that looked far more interesting.

そして17年後、私は大学に行きました。でも私は世間知らずにも、スタンフォードとほぼ同じくらい学費が高い大学を選んでしまいました。そして労働者階級である両親の貯金は全て私の大学の学費に消えていったのです。6ヵ月後、私はそのことに価値を見出せなくなっていました。私は自分が人生で何をしたいのか、そして大学がどうやってその答えを出すための手助けをしてくれるのか、さっぱり分かりませんでした。私はただ、両親が全人生をかけて貯めたお金を浪費していたのです。だから私は中退して、全てなんとかなると信じることにしたのです。そのときはかなり怖かったです。でも、振り返ってみるとそれは私が下したベストの決断の一つになりました。中退した瞬間から、興味の沸かない必修授業を取るのをやめ、それよりはるかに面白そうな授業に顔を出し始めることができたのです。

It wasn't all romantic. I didn't have a dorm room, so I slept on the floor in friends' rooms. I returned coke bottles for the five cent deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:

素敵なことばかりではありませんでした。私は寮に部屋がなかったので、友達の部屋の床で寝泊りしました。食べ物を買うために、5セントの預かり金を返してもらおうとコーラの瓶を返却していました。それから、毎週日曜日の夜にはハーレ・クリシュナ寺院で、週に一度のまともな食事にありつこうと7マイル歩いて街を越えたりもしました。私はその食事が大好きでした。そして好奇心と直感に従った結果として遭遇してきたことのほとんどは、後になってお金では買えないほど価値のあるものになったのです。一つ例を挙げましょう。

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn't have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and san serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can't capture, and I found it fascinating.

リード大学は当時、おそらく全米一のカリグラフィー(アルファベットの書道)教育を提供していました。大学内のポスターや引き出しに付いているラベルの全てに美しい手書きの飾り文字が施されていました。私は中退して普通の授業を取らなくてよかったので、このやり方を学ぶためにカリグラフィーの授業を取ることにしました。セリフとサンセリフの書体、異なる文字を組み合わせる時の字間調整、そして素晴らしい文字の技法とは何なのかということを学びました。それは美しく、歴史的で、科学では捉えることのできない芸術的な繊細さがありました。私はそれがとても面白いと思いました。

None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it's likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on that calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later.

この(カリグラフィーの)中には、実際に私の人生に応用できそうなものは何一つありませんでした。でも10年後、私たちが最初のマッキントッシュ・コンピュータをデザインしていた時に、その全てが蘇ってきたのです。そして私たちはその全てをマックのデザインに取り入れました。それは美しいタイポグラフィを備えた最初のコンピュータでした。もし私が大学であの授業に顔を出していなかったら、マックに複数の書体や字間調整フォントが導入されることはなかったでしょう。そしてウィンドウズはマックのパクリに過ぎないので、パソコンにそれらの機能が備わることもなかったでしょう。もし私が中退していなかったら、あのカリグラフィーの授業に出ることもなかったし、パソコンに今ある素晴らしいタイポグラフィが使われることもなかったかもしれません。もちろん大学にいた頃は、将来を見据えて点と点を繋げるなんて不可能でした。でも10年後に振り返ってみると、それはとても、とてもはっきりしていたのです。

Again, you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference.

もう一度言いますが、将来に目を向けて点と点を繋ぐことはできません。振り返って初めてそれらを繋ぐことができるのです。だから、点と点は将来、何らかの形で繋がると信じなければなりません。根性、運命、人生、宿命、何でもいいので何かを信じなければなりません。なぜなら、将来、点と点が結びつくと信じることは、例え月並みな人生を外れることになっても、自分の心に従うための自信を与えてくれるからです。そしてそれは全てを変えてくれるでしょう。

My second story is about love and loss. I was lucky — I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents’ garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4000 employees. We just released our finest creation — the Macintosh — a year earlier, and I just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. And so at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.

2つ目の話は、愛することと失うことについてです。私はラッキーでした。人生の早いうちに自分がやりたいことを見つけたのですから。ウォズと私は20歳の時に私の両親の家のガレージでアップルを立ち上げました。私たちは一生懸命働いて、アップルは10年間でガレージにいた私たち2人から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業へと成長しました。その一年前に、私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表したところで、私は30歳になったばかりでした。そしてその後、私はクビになりました。自分が立ち上げた会社をどうやってクビになるのでしょうか?アップルが成長していく中で、私たちは一緒に会社を経営していけるような、とても優秀だと見込んだ人を雇いました。最初の1年ぐらいは順調に物事が進んでいました。けれど将来のビジョンが食い違うようになり、やがて私たちは仲たがいしました。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで私は30の時に会社を追い出されました。それも、とてもおおっぴらにクビになったのです。大人になってからの人生で焦点だったものが消え、それはとても衝撃的なことでした。

I really didn't know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down - that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me — I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.

数ヶ月の間は、何をしたらいいか本当に分かりませんでした。私は、前の世代の起業家たちの威信を傷つけてしまった、私に渡されたバトンを落としてしまったと思いました。私はデイビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って、大変な失敗をしてしまったことを謝ろうとしました。私はとても有名な落伍者でした。そしてシリコンバレーから逃げようとも考えました。でも、私はゆっくりと何かに気付き始めたのです。私はまだ自分のしていた仕事が大好きでした。アップルでの事の展開も、それを少しも変えることはありませんでした。振られても、まだ好きだったのです。だから私は、一からやり直すことにしました。

I didn't see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.

その時には分かりませんでしたが、アップルをクビになったことは自分に起こり得る最高の出来事となりました。成功することの重みが、全てにおいて自信が持てない初心者に戻った軽さに代わったのです。それは私がまた、人生の中で最もクリエイティブな時期に入れるよう、私を解放してくれたのです。

During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the world’s first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, and I returned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple's current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.

それからの5年間で、私はネクストという会社と、もう一つピクサーという会社を立ち上げ、そして後に私の妻となる素晴らしい女性に恋をしました。ピクサーは世界初のコンピュータ・アニメーション映画「トイ・ストーリー」の制作に踏み出し、今では世界一成功しているアニメーション・スタジオです。驚くべき事態の進展によりアップルはネクストを買収し、私はアップルに戻ることになりました。そして私たちがネクストで開発した技術はアップルの現在の企業再生の取り組みの中心にあります。そしてロリーンと私は共に素晴らしい家庭を築いています。

I'm pretty sure none of this would have happened if I hadn't been fired from Apple. It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometimes life’s gonna hit you in the head with a brick. Don't lose faith. I'm convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You've got to find what you love. And that is as true for work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven't found it yet, keep looking. And don't settle. As with all matters of the heart, you'll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking. Don't settle.

もしアップルをクビにならなければ、このような事は何一つ起こらなかったということは確かです。ひどい味の薬でしたが、患者はそれを必要としていたのでしょう。人生には、時にレンガで頭を殴られるようなことが起こります。信念を失わないでください。唯一私を前に進ませてくれたのは、自分の仕事が心から好きだったということだと断言できます。自分が心から好きなことを見つけなければなりません。そして、これは愛する人に対しても、仕事に対しても当てはまることです。仕事は人生の大半を占めるので、本当に満ち足りた人生を送る唯一の方法は自分が素晴らしいと思う仕事をすることです。そして素晴らしい仕事をするためには自分の仕事を心から好きになるしかありません。まだ見つけていないなら、探し続けてください。そして腰を落ち着けてはいけません。心に関する全ての事と同じで、見つけたときにはそれだと分かるものです。そして、あらゆる素晴らしい人間関係と同じように、時が経つにつれてそれはどんどん良くなっていくのです。だから探し続けてください。落ち着いてしまったらダメです。

My third story is about death. When I was 17, I read a quote that went something like: "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, would I want to do what I’m about to do today?" And whenever the answer has been "No" for too many days in a row, I know I need to change something.

3つ目の話は死についてです。17歳の時、私はこのような言葉が引用されているのを目にしました。「もしあなたが毎日を人生最後の日だと思って生きていれば、いつか必ずそれが本当のことになるでしょう」それは私に感銘を与えました。そして、それから33年間、私は毎朝鏡を見ながら自分に問いかけてきました。「もし今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?」その答えが何日も続けて「いいえ」だったら、何かを変える必要があると分かるのです。

Remembering that I'll be dead soon is the most important tool I've ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure - these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.

自分がもうすぐ死ぬということを心に留めておくことは、私がこれまでに出会った中で最も大切なツールで、人生で重大な選択をする時に助けとなってくれます。なぜなら外部からの期待、プライド、恥をかくことや失敗への恐れといったほとんどのこと、これらのことは死に直面すると消え去り、本当に大切なものだけが残るからです。自分は死ぬということを忘れずにいることは、私の知る限り、自分には失うものがあると考えてしまう罠を避けるための最善の手段です。あなたたちは既に裸なのです。自分の心に従わない理由なんて何一つありません。

About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn't even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor's code for prepare to die. It means to try and tell your kids everything you thought you'd have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.

1年ほど前、私はガンと診断されました。朝の7時半にスキャンを受け、私のすい臓には、はっきりと腫瘍が写っていました。私はすい臓が何なのかさえ知りませんでした。医師たちは、これが治療不可能な種類のガンであることはほぼ間違いない、そして長くて3ヶ月から6ヶ月しか生きられないと考えておくべきだと私に言いました。主治医は、家に帰って物事の整理をするようアドバイスをしました。それは「死に支度をしろ」という医師の間の暗号です。それは、これから10年かけて子供たちに伝えようと思っていたことを全て、たったの数ヶ月で伝えなければならないということです。家族がなるべく容易に受け入れられるよう、全ての準備を確実に整えるということです。それは、お別れを言うということです。

I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and thankfully I'm fine now.

私は一日中、その診断を抱えて過ごしました。その日の夜になって私は生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れて、胃から腸に通し、すい臓に針を刺して腫瘍から細胞をいくつか取り出しました。私は鎮静剤を打たれていたのですが、その場にいた妻が、医師たちが顕微鏡で細胞を見て、私のすい臓ガンは手術で治すことのできるとても稀な形状であることが分かったので、彼らが泣き出したと教えてくれました。私は手術を受け、ありがたいことに今は元気です。

This was the closest I've been to facing death, and I hope it's the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:

これが、私が今まででいちばん間近に死と向き合った経験です。この先数十年は、それ以上死に近付くような経験がないことを願いたいものです。それを乗り越えたので、今私は死というものが役には立つけれど、単に頭の中の概念でしかなかった時よりも、もう少し確信を持ってこう言えます。

No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It’s Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it’s quite true.

誰も死にたくなんてありません。天国に行きたいと思っている人たちでさえ、そこに行くために死にたいとは思いません。しかし、死は私たちみんなが共有する終着点なのです。それから逃れた人は誰もいません。そして、おそらく「生」というものの唯一最高の発明品が「死」であるため、そうであるべきなのです。それは「生」に変化をもたらす媒介なのです。それは古きものを一掃して、新しきもののために道を作るのです。今、新しきものとはあなたたちのことです。でも、いつか今からそう遠くない将来、あなたたちもだんだん古きものとなり、一掃されるのです。とても芝居がかった言い方になってしまいましたが、本当の真実なのです。

Your time is limited, so don't waste it living someone else's life. Don't be trapped by dogma — which is living with the results of other people's thinking. Don't let the noise of others' opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

あなたたちの時間は限られています。だから自分以外の誰かの人生を生きて時間を無駄にしないでください。他の人たちの考えがもたらした結果を受け入れるという教条主義の罠にはまらないでください。あなたたちの心の声が、他の人の意見にかき消されないようにしてください。何より大切なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つということです。それらはどういうわけか、あなたたちが本当になりたいのは何なのかを既に知っているのです。その他のことは全て二の次です。

When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late-‘60s, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: it was idealistic, overflowing with neat tools and great notions.

私が若かった頃、「全地球カタログ」という、私の世代のバイブルの一つである素晴らしい出版物がありました。それはここからそう遠くないメンロー・パークでスチュアート・ブランドという人物によって制作され、彼の詩的な作風がそれを生き生きとさせていました。パソコンもデスクトップパブリッシングもなかった60年代後半で、それは全てタイプライター、はさみ、そしてポラロイドカメラを使って作られていました。グーグルが登場する35年前に出された、グーグルのペーパーバック版のようなものでした。理想に満ち、素晴らしいツールと偉大な概念にあふれていました。

Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: "Stay Hungry. Stay Foolish." It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you. Stay Hungry. Stay Foolish. Thank you all very much.

スチュアートと彼のチームは「全地球カタログ」を何号か発行しました。そして、それが一通り終わると最終号を出しました。1970年代半ばのことで、私はあなたたちと同じくらいの年でした。最終号の裏表紙には、早朝の田舎道の写真が載っていました。あなたが大の冒険好きなら、ヒッチハイクをしていそうな類の道です。その下には「ハングリーであれ。愚かであれ。」という言葉がありました。それは最終号を迎えた彼らからのお別れのメッセージでした。ハングリーであれ。愚かであれ。私はずっと自分がそうありたいと願ってきました。そして今、卒業して新たなスタートを切るあなたたちにもそう願っています。ハングリーであれ。愚かであれ。ご清聴ありがとうございました。

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