2016年4月2日土曜日

福澤武の日経新聞、私の履歴書【福澤諭吉の孫、丸の内の大家三菱地所の元社長】

福澤武氏は、慶応義塾大学の創始者である福沢諭吉の孫として有名ですが、丸の内の近代化を推し進め、オフィスビル一辺倒の街から、買い物や食事まで楽しめる街に変えた立役者です。

仕事をしないのが仕事という三菱地所ですが、かなりアグレッシブに丸の内を変えたという記憶があります。三菱グループの御三家である三菱商事、東京三菱銀行、三菱重工には入らないものの、金曜会の主要構成メンバーであり、三菱グループの重鎮です。

それにしても、28歳で社会人デビューとは凄いですな。普通であれば、年齢制限でアウトですもん。それが財閥系の超優良企業のトップまで上り詰めたのは、福澤諭吉の孫ということもあるのでしょうが、本人の努力の賜だと思います。東大や慶応ばかり採っているイメージが強い三菱地所ですが、他のすべての会社を落ちたという福澤氏を採用したのは、当時では本当にあり得ないことだったと思うんですよね。それにしても闘病生活を乗り越え、そして中学、高校も結核から通うことが出来ず、大検をとって大学を卒業したというその根性は凄まじいなーと。確か、病み上がりだったので勉強に集中して、単位は優(A)ばかりだったと前の回顧録には書いてあった気がします。

いまは、東南アジアででの投資が目立つのですが、国内でもアウトレットなど、いろいろ幅広く三井不動産と並ぶデベロッパーの雄として頑張ってくれています。今後の記事、楽しみデスわ。

私は三菱地所の株主で、昔は丸ビルの地下の会議室で、福澤氏を何度も見たことがありますが、長身で白髪なのは今でも記憶に残っています。おじいちゃんの創った学校の三田会繋がり、就職の時にその縦と横の繋がりを使ったのかと思ったのですが、どうやら自力で頑張ったようですね。ホント、普通であれば、引きこもりになったり、自殺をしたりするのでしょうが、本当に人生の一番、エンジョイできる時期を闘病生活の充てたのですから、仕事ではフルスイングで頑張ったんじゃないでしょうか。

三菱金曜会は、三菱自動車の提携会社がダイムラーであったことから、ベンツで乗り付ける人が結構居るという話です。ちなみに、三菱地所もベンツを使っていると聞いています。経団連なんかで、ベンツで料亭とか大手町の経団連会館に乗り付けるって話は聞かないですけど、三菱だけは別格なのかなとも思ったりします。今は、デボネアは作っていないですし、プラウディアもとうの昔に消え去りましたからw トヨタのセンチュリーやレクサスLS600hが今は、経団連や一部上場企業の役員の乗る車の定番じゃないでしょうか。まぁ、日産はプレジデント亡き後は、シーマということでしょうが、圧倒的にトヨタ車が多いですね、このへんは。

●シンガポールで活躍する三菱地所のアジア戦略【丸の内からの脱却】

http://www.akudaikan.com/2012/05/blog-post_21.html

0 件のコメント:

コメントを投稿