2014年10月25日土曜日

DMMの松栄立也とは一体何者なのか?【亀山敬司帝国の看板役】

DMMの創業者でもあり、社長である松栄とは一体何者か?と言うのはとても気になるところでした。理由は、コンビニで立ち読みした雑誌にターゲットは「飲む、打つ、買う」をする人々と書かれていたからです。この三つは、言い換えると「酒を飲む、ギャンブルを打つ、女を買う」の三つです。大辞林 第三版の解説によるとのむうつかう【飲む打つ買う】は「大酒を飲み,博打(ばくち)を打ち,女郎を買う。男の悪行の代表的なもの。」と書かれており、これが当てはまるのが多いのは、建設関係の作業員、そして工場の工員が主で、肉体労働をする人、いわゆるブルーカラーと言うことになります。

感覚的にも、府中や中山などの競馬場の近くは、年齢層が高く、圧倒的に男性が多いことからも解りますが、「飲む打つ買う」が好きな人が多いというのは直感的にわかります。川崎市や横浜市の鶴見区あたりは、大企業の工場が集積しており、飲み屋、風俗街、ギャンブルが集積していることが有名です。

松栄さんは、本当に緻密に分析をして、ビジネスをしていることがわかりますが、学ぶところが本当に大きかったです。松栄さん、会ってみたいな。そして、ビジネスについて話してみたいなw

あと、基本的に艦コレやアダルトビデオのイメージが強いのですが、亀山敬司さんが起業した時のことを読むと納得と思ってしまいました。消去法と実現可能性、富山の薬売りの発送が原点にあったんですねw それよりも、亀山さんの直轄部門の亀チョクというのが凄いですな。艦これも、ここから生まれたそうな。まぁ、この亀チョクからもわかるように、松栄立也さんは看板的なもので、実質的には亀山会長が仕切っているんでしょうけどね。


●Wikipediaより
松栄立也

松栄立也(まつえ たつや、1964年7月28日 -)は、日本の実業家DMM.com創業者である。
経歴[編集]

石川県金沢市生まれ。石川県立金沢二水高等学校を経て、1989年明治大学商学部卒業。

1999年、当時多数のアダルトビデオ制作会社を傘下に持っていた北都の通販用サイト会社「デジタルメディアマート」を創立。その後、事業を拡大し、DMM.com証券、DMM.comラボ(旧ドーガ)、CA(旧北都、通称アウトビジョン)等を創立させ、最近では角川書店との協力によるソーシャルゲーム艦隊これくしょん」の大ヒットや、まだ無名だったころのAKB48の劇場公演の配信など、FX事業、太陽光発電事業、3Dプリンターなど、さまざまな分野に進出している。
外部リンク[編集]
DMM.com

※2015年5月5日追加
アダルトビデオで儲かるのは「販売」ではない
東洋経済オンライン 5月5日(火)4時50分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150505-00068371-toyo-bus_all&p=2

亀山はコスト意識が強い。業務用デッキは使い勝手がよく丈夫だが数十万円と高い。そこでせいぜい3万円の市販デッキを大量購入し、24時間フル稼働させた。ある位置に立つと、大量のデッキは面白いことにリモコンひとつで一斉に動き出す。やはり次々に壊れたが、その都度、新品に交換していく。結果、全体のコストは安くついたのである。

 “温泉街のAV工場”には最盛期、縦横100台ほどのデッキが詰め込まれたラックが所狭しと並び、その総数は2600台ほどにも上り、それはじつに壮観だったという。年間に購入するデッキの数は約5000台にも達した。工場内では制服姿のパート女性たちは黙々とAVの出荷作業をこなしていたという。

■ 製作現場には顔を出さない

 軌道に乗ると、亀山は小売店にPOS(販売時点情報管理)システムの無償提供を始めた。すると、女優や監督、制作会社ごとの売れ筋が見えてきた。加賀の事業所にこもりその分析をすることが亀山の日常業務だ。だから制作の現場に顔を出したことはない。やがてその情報分析が有力レーベルに結実し、パッケージ写真さえうまく撮れていれば売れるという時代に終止符を打った。

 その昔、AV業界は“ロレックスとベンツを買えば一丁上がり”と揶揄された世界だった。そんな中、亀山の正攻法は向かうところ敵なしで、委託販売制を柱とするアウトビジョンは版図を広げ、本人が呼ぶところの「ピンクオーシャン」を深く静かに制覇していった。

 その根城ともいえる今の加賀事業所も、倒産した観光施設を格安で買い取ったものだ。そこで現場指揮を執るのは高校の同級だった前出の中西隆彦である。その後、教職の道に進んだ中西はアメリカンフットボールで高校日本一を達成した名将で、15年ほど前に亀山から請われ、入社した。

 「人の道に外れたことはすなっ!」というのが、亀山に対する中西の口癖なのだという。

 亀山がインターネットの動画配信に取り組んだのは1998年と後発だ。証券会社出身ながらIT(情報技術)方面に詳しいという松栄立也を知り合いの税理士に紹介してもらい、会ったその日から責任者にスカウトするという、まさに素人が手探り状態の中で始めたものだった。

 ネット事業を始めるにあたり、最初の関門はクレジットカード決済だった。業者にシステム開発を見積もってもらうと、時間とカネがひどくかかるという。そこで亀山らは考えた。カード決済に必要な情報は番号と有効期限だけである。ならば、ユーザーにそれらを入力してもらい、審査なしでIDとパスワードを即時発行したらいい――。

 じつは裏側ではこんなことをやっていた。松栄の知人が金沢で書店を経営しており、そこにカードの信用照会端末があった。それをいいことに、パート女性を1人雇って、ユーザーの入力情報を1件1件手作業で端末に打ち込み直し、利用可能か確かめたのである。利用不可なら発行IDを停止すればいい。実損は大してない。さすがにこの「なんちゃって決済」はすぐ人手が追い付かなくなったが、亀山の現場感覚を物語る格好の逸話と言えるだろう。

 そんな手探り状態ではあったが、ネット事業は着実に成果を収めていった。俳優や監督など関係者間の権利関係が複雑なことから動画配信になかなか乗せられない映画と異なり、亀山はAVの権利をすべて押さえていた。新作だけでなく総集編をリリースすればコスト回収はより確実に進む。動画配信についても行く手を遮る障害は何ひとつなかった。どこかから仕入れて「販売」するのではなく、すべてを自前で「製造」する。まさにそれが成功のカギだった。

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