2011年12月31日土曜日

四大文明は何故生まれ、何故廃れたのか? 【盛者必衰???驕る者は・・・・??】

中東と言えば、近所に四大文明のうち3つが集積しています。文字の発明は、おそらく、紀元前の7000年頃に、亀の甲羅に字を書いた中国と言われていますが、中東エリアもそれに負けないものがありました。特にエジプトでは、紙のおおもととなるパピルスの発明、そしてピラミッドなどの高度な土木・建築技術を駆使して、現代でもその構造物が姿を残しています。それは、悠久の時間を経た現代から見ても驚くほど高度なものだと思います。 

測量技術が発達したのも、星を観察する技術が発達したのも、反乱するナイル川があってのものだと言われています。また、ナイルは、農耕生活という概念に繋がり、定住にも繋がりました。そして、農耕をすることによって、食物の保存の技術、また、流通が発展したと言います。言ってみると、「全ては必要によって生まれたもの」だと。創意工夫が様々な技術を生み出し、それが応用されるっていう過程をみるとホント面白いです。ひとつの技術がねずみ講のように広がっていきますからね。それも文字と紙があってのものだと思います。 

何よりも面白いのは、やっぱり、「記録をするということ」ですね。過去のデータを記録することによって、そこに法則を見つけ、それを将来の予測に生かすという知恵も文字という記録手法が見つかったからだと思っています。そして、発明や発見が学問として整理され、体系的に教科書や本として残されれば、非常に短時間で先人の経験を得ることが出来ます。改めて、文字の発明の偉大さを感じます。演繹とか帰納とか小難しい言葉も、いろんな法則を記録することで見つかったんだなって改めて感じます。いわゆるノウハウってやつですね。 

そして、何故、このような高度な文明を持ったものが滅んでしまい、今は、発展途上国などとして呼ばれているのでしょうか、非常に悩むところでもありました。きっとポテンシャルはきわめて高いと思います。知能検査をしたら日本人なんか凌駕するくらいの能力をもっているかもしれません。あと、面白い話を聞いたんですが、「国民馬鹿化計画」というのが多くの発展途上国で行われています。昔は、知識人や学者とかが知恵をつけて、暴動や革命を起こす元となるということで、一般大衆は馬鹿になるように教育プログラムが定められているといいますが、まさに日本もそれなのかなと思います。間違ったことを言われても、逆に自分が間違っているんじゃないかと錯覚に陥ることがありますが、いまの政治がまさにそれですね。こんな感じで、ゆとり教育が10年、20年と続けられてきたことから、骨抜きが進んできたのだなと改めて感じました。 

発展途上国では、一度金持ちになったら没落しないようなシステムができているところが多いです。実業家が政治家を兼ねて、自分の好きなように法律を変える。ですから、一般市民が知恵をつけて、のし上がるのが怖いんだと思います。ただ、情報化の時代、インターネットや携帯電話でいつでも、どこでも世界中の情報が共有できるようになりました。アクセス制限がかかっていて見えないものの、この第三の波の情報革命がもたらしたものは極めて大きいと思います。

2011年12月30日金曜日

関口房朗とは一体何であったのか?【フサイチの馬主】

成金丸出しで、顔もいかにもっていう感じの悪オヤジで、カッコよく、金の使い方が下品だったので、その存在が好きでしたね。私は競馬をやらないんですが、競馬好きの友人によると、「自分が裸一貫からのし上がった人間なので、貧乏人を馬鹿にするような発言はしませんでした」という言うことですし、競馬界への貢献度はそれはもう大きかったと。そして、会社を追い出されても這い上がる姿、ある意味では、尊敬に値しますよ。こんな人が今もたくさんいたら、日本経済も違っていただろうなと・・・・。

役員会議室の机がサミットで使われた机とか、ビルが金色だとかの設備面だけでなく、ボブサップを入社式で呼んだりとか、フェラーリやマイバッハで乗りつけたりして、話題性には事欠きませんでしたね。あと、有名なのは馬主としてですかね。いま何やってんのかな??と思います。

この人は、会社追い出されても、また自分で別の会社を作って這い上がってきて、相当、芯の太い人だと思うんですよ。世が世なら、こういう人が再起をできていたんですけどね。


●関口房朗

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%8F%A3%E6%88%BF%...

関口 房朗(日本中央競馬会の馬主登録ではせきぐち ふさろう、その他の場面での自称はせきぐち ふさお。1935年12月20日 - )は実業家、競走馬馬主。兵庫県尼崎市出身。血液型はA型。通称は「フサロー」、「フサリー」(ネット上)。コリン・パウエル元アメリカ合衆国国務長官と親しいことで知られる。次男は株式会社ゲイン代表取締役の関口千房。

目次 [非表示]

1 経歴

2 馬主として

2.1 代表所有馬

3 脚注

4 著書

5 外部リンク

経歴 [編集]

尼崎市立尼崎産業高等学校を中退後、2年ほど個人経営の運送業を営むが、腰の支障により体を崩し廃業。その後、実家の工場「関口工業技術」の営業として勤務。1961年に、名古屋に移り「関口工業技術」名古屋出張所長になる。1963年に関西精器を設立し、代表取締役社長に就任するが、1973年に倒産。1974年に技術系アウトソーシング(人材派遣)の草分けとなる「株式会社名古屋技術センター」(現・株式会社メイテック)を設立。1980年に代表取締役社長に就任。会社が軌道に乗り始めると、競走馬の馬主資格を手に入れ、「房朗が一番」を意味する「フサイチ」の冠名の競走馬を多数所有するようになる。

1996年に所有する競走馬・フサイチコンコルドが日本ダービーを勝利した直後、メイテック社長を電撃的に解任され[1]、翌年(1997年)に東京に技術系アウトソーシングの新会社「株式会社ベンチャーセーフネット(2004年から株式会社VSN)」を立ち上げ、会長に就任する。

同社では1999年の入社式で闘牛を実施したり[2]、2004年の入社式に格闘家ボブ・サップを招待し、自ら「マスクド・F」としてサップと対戦したりするなど、時代の流行を取り入れた社内イベントを積極的に展開することで注目された。またテレビ出演も頻繁に行い「ミスター大盤振る舞い」とも呼ばれた。しかし、1999年8月に新入社員1300人に対して一時帰休させ、2001年8月には待機社員を整理解雇させたことが明らかになっている。


2011年12月28日水曜日

野村ノート 【情報分析の大切さを知る野村監督のID野球】

紀伊国屋で文庫本を見ていて、手に取ったのは「日本電産 永守イズムの挑戦」と「野村ノート」は面白かったのですいすい読めてしまいました。前にも書いたことがあるののですが、野村監督のID野球は本当に企業経営にも当てはまることがおおく、本当に読んでいて納得させれれる事ばかりでした。 

小さいことの積み重ねが大きいことになると私は考えており、色々な企業哲学が会社を変えていくことになると思っています。改めて、リーダーの持つ素養と情報分析が大切なことを再認識した二冊でした。 


1)意識改革で組織は変わる 
2)管理、指導は経験がベースとなる 
3)指揮官の最初の仕事は戦力分析にある 
4)才能は学から生まれる 
5)中心なき組織は機能しない 
6)組織はリーダーの力量以上には伸びない 
7)指揮官の重要な仕事は人づくりである 
8)人間学のない者には指導者の資格無し

2011年12月27日火曜日

LCCのエアアジアのラブホテル商法【軒を借りて母屋を取られる】

以前からよく利用していたエアアジアですが、日本で有名になり始めたのはここ2年ぐらいではないでしょうか?また最近では、ANAとの合弁で作ったPeach aviationが有名ですが、サンケイBIZでは、「軒を貸して母屋を・・・・」なーんて記事があるぐらいですから、乗っ取られる可能性は十分あると思っています。

なんといっても、経営者は、インド人(国籍はマレーですが)ですから、商才もそして意思決定能力も多くの日本人より、遥かに高いと思っています。

ユニクロの柳井さんや日本電産の永守さんが、このタイプですが、意思決定が異常に早く、お金の臭いをかぎ分けるのが相当上手い。会社を買ったのが911テロの後で、周りからは、最悪のタイミングで買収をしたと嘲笑されていましたが、今から振り返ると、最高のタイミングで買収したと私は思っています。借金の負担が全然ちがいますからね。

理由は、航空会社で最もお金のかかるところは、飛行機です。この機材をいかに安く調達して、いかに多く回転させて利益を出すわけですが、そこに経営センスが発揮されたと言っていいでしょう。ですので、固定費は極めて安く、あとは、変動費である燃料費のさじ加減ですよね。

驚くことに、KLの国際空港の隣に自前で空港を作ろうとしていて、一旦、政府は承認したものの、あとで白紙に戻したらしいです。そして、今では、ナショナルフラッグのマレーシア航空すら支援しているとのことです。

本当に思うのは、資本の回転率ですよね。財務分析でもよく出る話ですが、ラブホテルなんかは、一日4回転ぐらいするところも平気であるぐらいですから、ラブホテル以上の稼働率といってもいいぐらい、ずっと飛びっぱなしの機材は、他のちんたらやっているナショナルフラッグが勝てるはずがありません。

私は、ラブホテル商法と呼んでいますが、資本を本当に極限というぐらい上手く回転させているので、学ぶところは本当に多いです。


●【アジアの目】全日空「軒を貸して母屋…」の危険性
 http://www.sankeibiz.jp/business/news/110811/bsk1108110503000-n1.htm

2011年12月26日月曜日

女子御三家(桜蔭・女子学院・雙葉)【男子高の麻布・開成・武蔵の女子版】

友達の奥さんが桜蔭出身なんですけど、「青学出身なんですけど、落ちこぼれなんです。。。」と言っていたことをふと思い出しました。その友達は、弁護士なんですけど、桜蔭出身の弁護士もゴロゴロいて、医者になる人もゴロゴロいるんです。そりゃ、青学で落ちこぼれですなんて言う訳だと思いました。普通の家庭でしたら、青学へ行ったら、家族中で大喜びですが、女子高での東大合格者がトップなだけだって、受験校は「三類」とか言うそうです。 

あとこれも別の友達の話なんですけど、竹早高校(学芸大学付属で、ガクツキと呼ばれるらしいです)も東大志望がかなり多くて、同じようなノリらしいです。「セイケイ」といえば、成蹊大学ではなく、早稲田の政経学部を指すらしく、ホントこんな世界もあるんだなと改めて思いました。私なんかが行ったら、即落ちこぼれ決定ですけどね。やっぱり、話していて思ったんですけど、ボキャブラリーが豊富で、表現力があるんですね。この人たちにはやっぱり、勝てないと思いました。 

個人的には、白百合やフェリスの方がいろんな面でバランスが取れていていいなーと思います。特に、私なんかは、ミッションスクールに7年間も通っていたこともあり、何気にクリスマス礼拝なんかも行っていたんですよ。賛美歌なんか殆ど歌えませんが、「アーメン」なんてやってました。これをサウジアラビアでやったら「ジハード」と刺されるのが怖かったので、さすがにイスラムの国では、敬虔な仏教徒を通していますけどね。。。 

付属の子達と外部からの人を見分けるのは、校歌や賛美歌を歌えるかというのと「アーメン」のタイミングが揃うかどうかで良くわかります。内部はお洒落な人が多いのも事実ですが、やっぱり受けてきた教育でわかるもんです。 

それよりも、下記数字、スゴイですね。ホント、このプレッシャーといったら相当のものだと思います。私ならおしっこチビりそうになりますもん。 

■桜蔭(卒業者数237名) 
・東大  68名(合格率28.7%) 
・一橋   4名(合格率 1.7%) 
・東工大  1名(合格率 0.4%) 
・慶應  82名(合格率34.6%) 
・早稲田 156名(合格率65.8%) 
・上智  20名(合格率 8.4%)

2011年12月25日日曜日

ロボットはもともと日本のお家芸 【国策として勧めるべきだと思います】

武器輸出三原則だとか、核兵器・大量破壊兵器の輸出規制があって、私も経済産業省でのE/L(輸出許可)を取得するのに、本当にない頭を捻って書類を作って苦労した記憶があるので、よーくわかります。旧ココム規制(共産圏に対する輸出規制)そして、ワッセナーアレンジメントとか色々あるわけですが、日本では外為法(付随して輸出貿易管理令)でガチガチに規制がなされており、関係するものの輸出はかなり難しいです。 

アメリカのスゴイところは、軍用技術を民生用にしているところなんですよね。軍事技術って通信にしても暗号化技術にしても、素材にしても極限の環境での使用を念頭においているので、耐久性とか放射能の被爆とかにも耐えられるものは簡単に作れるはずです。 

しかし、軍事関係は駄目、そして原発の事故は絶対におきないという大前提があったものですから、この分野は研究が全く進んでいません。そりゃ、シリコンなんかのベースの半導体なんかは、あっという間に駄目になり、誤作動の連続だと思います。素材技術もスゴイモノを持っている日本ですから、やろうと思えばいくらでもできるんですけどね。 

飛行機も昔、中島飛行機(スバルの前身だったと思います)とかあったように、アメリカが日本にこの分野を禁止されなければ、ホントMRJなんかとっくの昔にできていたと思います。 

2011年12月24日土曜日

シンガのハッテン場 【モーホーの出会いの場が・・・・】

私の記憶によるとモーホーはシンガポールの刑法で禁止されていたと思ったのですが、ハッテン場があって驚きましたよ!!それもビジネスの中心街に。

●ワンセブン
 http://www.oneseven.com.sg/nihongo.htm
 場所は、MOMのまん前、で有名なバクテーの店のすぐお隣です。

●シンガポールのハッテン場
 http://singapore.gaytabi.com/listing/list/c/cruising

 http://singapore.gaytabi.com/

●ハッテン場のMAP
 http://sunsun123.exblog.jp/22489212/


ハッテン場とは下記を参考にしてください。

発展場 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E5%B1%95%E5%A0%B4

発展場(はってんば)とは、男性同性愛者の出会いの場所である。カタカナでハッテン場と表現されることもある。英語圏では日本でいう発展行為のことを「Cruising」とか、豪州では「en:Gay beat」といったりする。
この項では、公共の場所における男性同性愛者の発展(行為)について記す。有料系については「有料発展場」を参照のこと。

概要[編集]

かつて、夜の公園は「アベック」と呼ばれる男女のカップルが愛を育む場所として知られていたが[1]、「発展場」はそのゲイ版であるといえる。かつては男性同性愛者にとって出会いの場は殆どなく、ゲイバーといわれる店はあっても女装男性が異性愛者に接客するバーが全国に数店舗ある程度だった[2]。そのためゲイ男性にとっては「出会いの場所」が必要とされ、自ずと発展場ができていった。発展という通称が男性同性愛者に認知される以前は、単に「公園」といったり、1960年代頃は発展トイレを「事務所」[3]と呼んだ。

語源[編集]

異性愛者の男性で、女性関係や酒場などでの交友関係が広く盛んな人を指して「発展家(はってんか)」と呼ぶが、「発展場」に使用される「発展(はってん)」の意味合いと共通点が指摘されている。ただし「発展場」という語が同性愛者たちに浸透していく年代と、この「発展家」という語が広く使用されていった年代[4]が重なるため、どちらが先に使われたかは不明である。なぜ「発展」が当てられたのかについても定かでない。
また面識のない相手と「性行為に"発展"する」「恋愛に "発展" する」が語源という説など諸説ある。
古い例ではゲイ専用ページがあった『風俗奇譚』の1963年の1月-12月号などに「全国ホモのハッテン場」という記述が確認できる[5]。その後「薔薇族」、「アドン」、「さぶ」など、1970年代に創刊されたゲイ雑誌を通じて「発展(ハッテン)場」の通称は全国の同性愛者に広まり、現在に至っているとされる。

歴史[編集]

江戸時代
江戸時代初期には陰間茶屋と呼ばれるゲイバーが既にあり[2]、同性愛男性たちが集まっていた。その為、ゲイ同士で発展行為が行われるような場所もあったのではないかとの説もあるが未検証である。
大正 - 昭和初期
発展場という言葉は使われていないが、戦前も映画館や公園などがゲイ男性の出会いの場になっていたといわれ、遅くとも大正期には発展場は存在していた[2](それより前は未検証)。一例として江戸川乱歩『一寸法師』(昭和2年)には、浅草公園に深夜屯するゲイが出てくる場面がある[2]。また戦前の一時期、上野公園に男娼が屯していたことで知られている[6]
戦後直後 - 1960年代
戦後直後から1960年代頃までは、出会いや発展の場といえば野外の公園やトイレ(事務所)、映画館の暗がりなどが中心で、東京では「男娼の森」といわれた上野公園を始め、日比谷公園信濃町駅最寄りの権田原という公園のような場所が有名だった[2]。権田原は二丁目にゲイタウンができる前頃は、都内で最も有名な発展場だった[2]。大阪では阿倍野区旭町天王寺公園の近く)が男娼の森と呼ばれた[7]。上野公園ではある夜、警視総監が見回ったら、男娼の一人に殴られたというエピソードがあり[2][8]、日比谷公園は相手を求めるゲイで夜ごと賑わい、GHQ本部(第一生命会館)に近かったこともあり、中には米軍人もいた[2]。また各地には発展できる映画館もでき始めていた。

違法性やゲイ襲撃事件多発で減少へ[編集]

夏の夜の公園やトイレ、海辺、映画館、公衆浴場、大きな鉄道駅やその近くの大型商業施設のトイレなどで発展行為が行われることがある[2]。発展場とされている公園などで、相手を求めに来ている思われるゲイ男性同士で声をかけ、互いにタイプなら合意の上で性行為に及ぶ。家やホテルに行くこともあるが、トイレや木陰などで性行為に及ぶこともある。
しかし近年は、近隣への迷惑なども考え、発展行為が行われないよう対策が講じられている場合も多い。例えば、発展が多いとされている場所では、夜間でも照明を点灯する、公衆トイレを閉鎖する、警備員の巡回を増やす、警告の張り紙を張るなどして発展行為の禁止が呼び掛けられていることがある[2]。公衆浴場は、一般的な入場規則として「他のお客様のご迷惑になる行為」を禁止している場合が多く、公然わいせつ行為を行わないとしても強制退店になったり、悪質な場合刑事罰の対象となることがある。一部の異性愛者向け公衆浴場は、店員がやらせでゲイに近づき、わざと手を出させて追い出しているところもある[9]
下節で触れる発展場でゲイを襲撃した事件が相次いでいることや、室内発展場の増加、インターネットなどの出会いツールの普及などで出会いが比較的容易になったこともあり、野外や公共の場での発展行為は減少傾向にある[10]。またゲイ狩りが相次いだこともあり、近年のゲイ雑誌は野外や公共の場における発展行為をしないように、呼びかけることもある。

ゲイ・バッシング[編集]

発展場に集まるゲイが強盗事件の餌食になったり、ゲイを狙った暴力事件もしばしば起きている。例えば、発展場として知られている公園へ来る男性が、露出度の高い格好をするなど、特に見分けがつくような身なりでもないのに、手当たり次第に少年グループに襲撃され現金を奪われるといった「ゲイ狩り」事件や、撲殺による殺人事件も起きている[11]。過去にあった「芦花公園」で男性同性愛者が太ももをナイフで刺され殺害された殺人事件[12]は、犯人が逮捕され一応の解決を見たが、強盗殺人より罪状の軽い暴走

族同士の抗争における「人違い殺人」として処理された。

こうした事件に男性同性愛者―或いは同性愛者ではない通りすがりの男性―が遭遇することは、過去に「アベック」と呼ばれた男女のカップルが、夜の公園などで強盗事件や殺人事件の被害者となったことと似た現象だといえる[1]。

そうした発展場を巡る経緯から、近年は公共の場所での発展行為は減少傾向にあるといわれ、各GLBT団体などは自分の身を守るため、公共の場での発展行為を自制するように呼びかけている。
出典[編集]
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^ a b 「上野の森 夜の生態男と女」『探訪読物』(1949/6/1)、「上野の森の11年目 アベックの殿堂?文化の殿堂?」『週刊サンケイ』(1959/7/5)、「上野の森の昼も夜も 禁じられた犯罪・情事のメッカ」『週刊サンケイ』(1960/11/21)。
^ a b c d e f g h i j 「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫社)
^ 三島由紀夫『禁色』(1951年)、『週刊現代』1968/10/31、『オトコノコのためのボーイフレンド』(少年社・発売雪淫社,1986,ゲイボキャブラリー)など。
^ 日本映画『社長三代記』(1958年)に「女性方面にご発展で」という台詞がある。
^ 「風俗奇譚」(1963年12月号)「全国ホモのハッテン場:週刊誌に紹介された横浜の事務所」など。
^ 「同性愛と同性心中の研究」(1985年.小峰研究所.小峰茂之・南孝夫共著)「同性愛の一類型(男娼)について:戦前の一時期上野公園に屯した男娼群の観察を通して」
^ 『都会ロマン』「旭町の男娼・大阪男娼の森を訪ねて」(平尾伸吉、1949年)。
^ この他、上野に限らず、男娼が米兵から強奪被害に遭うとか(読売新聞「米兵 男娼から強奪」1953年7月2日)、16歳の少年に男娼が殺される(読売新聞「十六少年の凶刃 "夜の男"を殺して高校生自首」1951年1月6日)とか、米兵が男娼に切り付けられる(「米軍属 男娼に切らる」読売新聞1953年11月12日)といったことも起きていた。
^ Badi1997年4月号「WALKIN Badi 26 名古屋PART2」。
^ 「薔薇族」2001年2月号。
^ 新木場・夢の島緑道公園で33才男性が複数の少年らに殺害される
^ 東京・世田谷区芦花公園で男性が襲われ死亡