1,000個のシンガポールで、世界中の人口がたったの地球の0.5%の面積で賄えると言う仮説を立てて、検証しているこの本、全てが英語ですが、かなり面白かったです。コンパクトシティ推進論者の私としては、お勧めの一冊です。
それにプラスして言えば、都市部の鉄道推進論者です。エネルギー効率や通勤の便を考えると半導体のように集積度を上げることが効率に直結します。確かに副作用として一極集中やリスクの集中などが見られますが、現代型の知識集約型の産業が中心となった社会では、都市化は回避することができないと考えています。風水都市として香港と並び有名なシンガポールについて、コンパクトシティという面から仮説を立てて検証をしていきたいと思います。エネルギー効率では、面白いことにアメリカのニューヨークがトップに立ちます。東京も個人的な見解ではかなりエネルギー効率は高いと思っていますし、都市圏という括りで見れば、人口は世界一です。
ある意味で、色々な社会実験が国家ぐるみで行われているシンガポール。インフラのパッケージ輸出も水だけでなく、道路や鉄道関係でも行われていると聞きます。この意味では、日本は既に計画から建設、運営、メンテナンスまでの数十年にわたるノウハウがあるので、一日の長があるのは明白な事実です。シンガポールは、空港運営など、今後、自国で蓄えたノウハウを、一発物の建設だけでなく、メンテナンスで手数料などを稼ぐスタイルへ変貌させていく、永続的なビジネスに繋げていくと考えています。水メジャーと言われる、ヴェオリア、スエズ、テムズウォーターなどがやっているビジネスがこれに近いでしょう。ベクテルやハリバートンのやっていることと組み合わせれば極めて大きなビジネスになると考えています。都市国家の事例、そして国自体が経済特区のような事例が大国に通用するとは思いませんが、モデルケースとしては面白いと思います。
基本的にシンガポールはその国土の小ささから制約が極めて大きいため、人材を活用するか、人の上前をはねるようなビジネスしか難しいのだと思います。金融や物流なんかそれに近いところがあります。地域統括会社なんかのハブ機能ですね。本社から、監督できないものを地域統括会社がコントロールすると。それに、域内が、飛行機で数時間以内というのも魅力なんでしょう。ハブアンドスポークの空港や港湾なども本当に、地域の拠点を睨んでやっていますからね。それを考えると、マレー半島の中部、マレーシアの北部を越えた、タイの深南部のプーケットとハジャイの界隈の半島が一番狭くなっているところは40KM程度なので、そのクラ海峡のところに運河をつくることなんか訳ないんですよね。マラッカ海峡の浅瀬を浚渫して、航路を確保したり、潮待ちをしたりすることなんかに比べたら・・・・。ただ、政治的なもので、難しいとは思いますね。シンガポールは華僑の貯金箱ですし。
金融、物流、観光の三本柱以外にも多くの実験が現在進行形で行われており、そこで培った技術やノウハウは輸出されています。冒頭のウォーターハブなどはその良い例です。最適化と効率化のノウハウって省資源にもなりますし、都市化が世界中で進展する中で、非常によいケーススタディだと思っています。実際には、エネルギーや食料等の資源をどう確保するかが一番の問題となるのでしょうが、コンパクトシティのこの提案は面白いです。
●A Model of compact city
http://www.1000singapores.com/
1,000 Singapores can house the entire world population using only 0.5% of the earth's land area.
【意訳】1,000個のシンガポールで世界の全ての人口を地球の陸上の0.5%の面積で賄うことができる。
最近思うのは、世界的に大量生産大量消費の時代が糞詰まりなっていて、エネルギー多消費型、更に車依存型の社会が限界に来ていると思うので、コンパクトシティに向けて流れが変わるんではなかろうかと思います。実際に、一次産品で最も大切だと言われている原油が1バレル100ドルを恒常的に越えている状態であれば、それはすべてのものにインフレ圧力に繋がります。先進国でも大きな影響を受けるエネルギーは、低所得者層の多い発展途上国ではエネルギーの所得に占める割合が大きくなり、その影響度はもっともっと大きくなります。
モータリゼーションが進み便利な生活を手に入れ、経済発展の緒についたばかりで、このエネルギー高は、本当に大きな影響を与えています。特に、車中心の社会で設計された社会インフラは、極めて無駄が多く、地方では車とは極めて便利が良いものの、都心部に限っては、道路の占有面積やエネルギー効率、公害など殆どすべての面で、鉄道などの公共交通機関に劣ります。皮肉なことに、アメリカのニューヨークのような巨大都市が最もエネルギー効率の高い都市となっているのは驚きですが、おそらく、東南アジアの巨大都市であるインドネシアのジャカルタやタイのバンコク、マレーシアのクアラルンプールは完全な車社会ですから、かなりエネルギー効率に劣ると思います。今のように車中心で発展してしまった現状を考えると鉄道を今後普及させようとしても、相当費用がかかってしまい、仮に地下鉄にした場合は、建設費用を償還することができなくなると思っています。日本や欧米は幸いなことに鉄道から発展するケースが多かったため、その時の路線網に沿って街が発展していますが、東南アジアは完全に車優先で作ってしまったため、鉄道網が余りにも貧弱なのは言うまでもありません。自動車メーカーが道路建設に補助金を出しているのではないかと思うほどです。
シンガポールは、は699.0Km2で、東京23 区の617Km2よりやや大きい程度の国土で、東西が約45KM、南北が23KM程度の国で、チャンギ空港、港湾(ケッペル、パシルパンジャン等)などの社会インフラもしっかり整備されており、ビジネスのソフト面のインフラである金融、法律、会計面でもしっかりと整備されています。これは、イギリスが旧宗主国であることも大きいのですが、弁護士や公認会計士が世界標準として世界のメジャープレーヤーであるイギリスとアメリカの制度で運用できることのメリットが極めて大きいと思います。また、国民の教育水準も高く、英語が公用語として用いられ、国民の殆どが英語を理解することができます。これが、シンガポールが東南アジアのハブとして機能する大きな理由です。ハード面、ソフト面双方からインフラが整備されていて使い勝手が良いこと、更には交通の要衝に場所が位置していると言う地政学的なメリットもあってのことです。
社会インフラで、特に車はその便利さや目に見える効果の大きさが大きく、更には都市計画を決定する人たちは発展途上国では基本的に特権階級に属し、公共の交通機関を利用することはありません。従って、当面のことを考えると鉄道整備よりも道路整備となるのです。しかし、先進国の巨大都市をみると鉄道無くして発展はないのです。理由は、渋滞による機会損失が極めて大きいからです。輸送効率をみれば、大量輸送には車は適していないことになり、慢性的な渋滞が大都市で当たり前になってしまいましたし、出来上がってしまった市街地を再開発するのは容易ではありません。そのような理由から、発展途上国では鉄道の整備が大幅に遅れていると思います。その意味で、日本は割りと早いうちから、国鉄だけでなく、私鉄によって鉄道網が整備されたことは評価すべきことだと思います。個人的には、東南アジアで私鉄を今まで一度も聞いたことがありません。従って、イギリスにしても、日本にしても、起業家が先見の明を持って鉄道敷設を行ったのだと思います。一票の格差の問題もそうですが、地方と都市部の一人当たりの道路の長さについては、もっともっと差が大きいと思います。その意味で、本当に費用対効果のコストパフォーマンスを考えるとコンパクトシティであるNYやシンガポールのエネルギー効率のよさが際立つ訳です。費用と便益について、比較してみると地方と都市部の格差が際立って分かると思います。
世の中とは本当に皮肉なもので、問題を解決しても解決しても、必ず新たな問題が発生するパンドラの箱のようなもので、OA機器や車、携帯電話が我々の生活を便利にした一方で、人間が作ったものが人間を排斥すると言う笑えない状況になっています。
最近よく思うことは、「世の中は便利になったものの、人間関係までは便利にならなかった」と言うことです。American way of life に憧れて、日本はアメリカ型の生活を導入し、東南アジア諸国らも、ルックイースト政策に代表されるように、日本をお手本として雁行型のキャッチアップ型経済で、日本の経済成長モデルを真似して、驚異的な経済成長を遂げてきました。
本来であれば、国とは、人種や言語、宗教など、もともと全くバックグランドが違うもの、その土地の風土に合わせて、悠久の歴史の中で適合してきたと言う歴史的背景がありますので、他国の文化のコピーと言うのは当然歪がでます。過去、白欧主義だとか、農業革命、産業革命など色々ありましたが、それでも時間軸は、人類が許容できるスピードでしたが、第三の波の「情報革命」後は、個人が世界からリアルタイムに情報を得られるだけでなく、今までは、CNNのような世界的なネットワークを持つものや政府ぐらいしか世界に情報を発信することができませんでしたが、タダに近いコストで、個人が世界に情報を発信できるようになりました。しかし、いろんなことが一気にできるようになったため、世の中の制度が対応できておらず、制度疲労を思いっきり起こしていると思っています。
今までは、「情報の非対称性」があり、知識の無い人達は、情報のある人達に暴利をむさぼられていましたが、今では、情報革命のお陰で、多くの人が欲しい情報を欲しい時に、欲しいだけ得られる時代になりました。今までは、一生気づかないで死んでいっただろう人、搾取されていても、それが搾取だと気づかないで搾取され続けていた人達が蜂起する時代となりました。いわば、市場機能に近いもので、モノなども「一物一価の原則」のもと、歪があれば、それが修正され、ひとつの値段に収斂しようとしつつあります。為政者が知識層を虐殺してきた歴史、愚民政策を続けてきた植民地支配をみれば、それは良く分かります。
市場原理主義がここ最近の潮流でしたが、ジョージソロスが言うように市場は常に間違いを犯します。時には、その間違いがあらぬ方向へ一方的に振れ、その歪が元に戻ろうとする時には、とてつもない振幅を伴うことになります。
移動手段、通信手段の高度化、さらにはFTAなどで、国境は限りなく低くなりました。お金も瞬時に世界を駆け抜けるようになりました。そして、人も世界中に気楽に飛び立てるようになりました。しかし、忘れてはいけないのは、序章で述べた国がそもそも成立したきっかけです。同質性が強く、農耕民族である、同じ日本人であっても、考え方の相違や意思疎通がうまくできないことも多々あるぐらいですから、それが人種や言葉が違えば摩擦が起きるのは当然のことだと思っています。これが長い時間をかけて融和が進めば、まだ摩擦は少なくて住むのですがこれだけ、世の中が短期間にかわり、技術革新がこれほどまでのスピードで進んだ現在では、もはや、ゆっくりと融和することは不可能です。
グローバル化、金融の肥大化など、本当に複合的な要因で、今日のトラブルと言うのは起きていると思います。マーフィーの法則ではありませんが、本当に、いくつもの偶然が重なって、ひとつのことが起こるんだなと思うことが結構あります。いま、世界の課題は、エネルギー問題と食糧問題を解決できれば、ほぼ全て解決できると言われていますが、一体どうなるでしょうか?
人類の英知を結集して、今後、ほぼ確実に起こるであろう金融危機、食糧危機が乗り越えることを願っていますが、全てのものが問題を先送りし続けたお陰で、コントロールすることができないほど巨大になってしまい、いまは堤防が決壊するのをビクビクしながら見ることしかできません。リスクさえコントロールできたとさえ思った人類ですが、まさか自分の手で自分を追い込むなんて、本当に皮肉だなと思います。