2011年12月7日水曜日

ジロリアンになったきっかけ

私がこんな二郎に通いつめるようになったのは、池袋に住んでいたときにあります。そして要町店に吸い込まれるように入って行った時の衝撃は今でも昨日のことのように思い出します。

それからと言うものの、要町店、それから東口店はしょっちゅう通っていました。その後、山篭りしていたときは、新宿の歌舞伎町、それから高田馬場にどっぷり浸かっていました。さすがに慶応の前にある三田店は、あの行列がきついのと、フルコースで食べてしまうとトイレへの直行便になってしまうからいけませんでしたけど・・・・。確かに、三田の二郎は美味しいんですけど、床が油で滑るぐらいの勢いですから、オヤジの私にはチト厳しいものがあります。ちなみに、前の元上司は家系に凝っているにも関わらず、東京でのラーメンの双璧とも言える二郎を知らなかったため、私が教えてあげたところ、すっかりとそのジャンクな味の虜になってしまったようで、夜な夜な通うようになってしまいました。ジロリアンというのが本当にここ最近分かる年齢になりました。 

思い起こせば、私と二郎との出会いは、まだ私が初々しい時期だった二十歳ぐらいです。家系との出会いにも本当に衝撃を受けましたが、二郎の衝撃はもっと大きかったのを今でも覚えています。こぼれんばかりのヤサイ、そしてギトギトの油、そして常連客の「ヤサイマシマシ」と言う言葉。私の元同僚の女性がお洒落なラーメン屋の話をしていたことがあったので、私は思わず、説教をしてやりました。「ラーメン屋は男の戦場なんだ!!と」そして「殺伐とした雰囲気がなければラーメン屋ではない」と・・・・。ラーメンは芸術だと言いますが、本当においしんぼの世界ですよね。本当に、私のメタボの原因ともなる、家系の元祖の吉村屋と二郎との出会いは、ライト兄弟が空を飛んだ時よりも、そしてガガーリンが「地球はアホだった」と言った言葉よりも私とっては衝撃が大きかったですし、確実に私の寿命を縮めました。 

●ラーメン二郎の魅力に
 http://ameblo.jp/takpapa
●ラーメン二郎PC店
 http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/3433/

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